みんな別の方向を見てる感
モノクロのヒッチコック監督作品である。
親身になって世話をしてきた教会の使用人ケラーに殺人を告白されたローガン神父。彼自身に嫌疑がかかるが、守秘義務ゆえに告発することができない。
状況が人を動かす?
オープニングにDIRECTIONと書かれた矢印標識が幾度か写って、カメラが辿った先に殺人がある。妻に楽をさせたい→お金が欲しい→盗もう→抵抗にあう→殺し、と場当たり的に物事は展開したっていうことなのかな。
ケラーが神父を殺人者に仕立てたのも状況が唆した感じ。でも最後の方では神父を追い詰め、試すことがケラーの目的になっている気もする。惨めな自分と同じところまで降りてきて欲しいのか。それとも信念に殉じる人が1人でもいて欲しいという願いの裏返しか。
アルマの疑心の悲しさ
ケラーと妻のアルマは人の弱さを母国で嫌というほど見てきたんだと思う。裏切られたり、あるいは生き残るために裏切ったことあったかも。だから神父が警察に夫を告発すると思うのだ。けれど、神父に濡れ衣をきせ追い詰める夫の変貌に絶望し、その悪意の手助けをした自責に心が揺れる。
告解の守秘義務
神父の心にケラーを責める気持ちはなく、自身の信仰へのチャレンジと感じているようだ。1人街を彷徨い、一瞬ショーウインドウの俗服に目をとめ、やがて心を決める。
戦場でも理屈のつかない生死の明暗を幾度も体験したはずで、あとは神の御心のままにということか。
群衆の敵意と侮蔑の眼差しに囲まれた神父が、ちらりと空を見上げるシーンがある。彼はそこに大きな存在を感じる。彼の心は、神にだけ開かれているみたいだ。
ちょっと意地悪な想像をしてしまった。神父自身ではなく他の人が誤認逮捕されたら物語はどう展開するだろう。神父はさらに苦しむことになりそうだ。
現在、犯罪に絡む告解の守秘義務は撤回されているのだろうか。あるいは、「いえません」は「告解の守秘義務」と認識して、尊重されるのだろうか。
ルースの微笑み
ローガン神父が神職につく前の恋人ルース。神父の沈黙を自分を守るためと勘違いすれば恋心の再燃は必至だ。
神父の無実を知り安堵の表情を浮かべる彼女。その口元にかすかに自嘲が混じった寂しげな笑みが浮かぶ。ちょっと切ない。
見終わったあと、主要登場人物の思惑がすれ違って、言葉を交わしていながら没交渉な感じがして寂しくなった。
ただ、司祭館の年配の神父がローガン神父に注ぐ視線と、ルースの夫が彼女を見守る眼差しだけは、真っ直ぐ対象の人を捉えていた気がする。
ところで、始終苦悩顔のローガン神父。ルースの回想シーンの中で屈託のない笑顔を一瞬だけ見せる。無邪気なその笑みの眩しいこと。
1953 I Confess アメリカ