シュミエイガ

映画の感想・連想・妄想ついでにイラスト:履歴書の趣味欄は映画鑑賞だった

物語の力。彼女の名前がLunaでよかった・・・「シシリアン・ゴースト・ストーリー」

幻夢のようなラブストーリー

 イタリアのシチリア島で実際に起きた事件がベースにある。被害者の少年が味わった絶望と恐怖を私は想像したくない。

映画では、少年に心を寄せる少女ルナの幻視と、少年の魂が呼応して、突き抜けた解放感のある風景にたどり着く。

ルナの幻視とジュゼッペの生き霊がリンクする?

少女ルナはいつもありえない想像に没入して、目を開いていても別の空間に心を飛ばしてしまう。ジュゼッペを救いたいと思いつめる彼女の心が紡ぐ幻想に、身動きの取れぬ絶望と心身の衰弱の果てに心を飛ばす術を身につけたか、彼の生き霊?が呼応する。この時点のゴーストって幽体離脱というか生き霊だ。でも日本人なら源氏物語の頃から馴染みのある概念だ。

彼女のみるビジョンが観客を導くので、彼女が絵を描き、文をかくシーン、とてつもない想像力と没入力を持つという描写は外せない。

映画で描かれる物語の中にルナの創造する物語が重なって輪郭が曖昧になる。現実の枠が緩んだところにジュゼッペのゴーストが浮遊する隙間が生じる。

タイトルにはゴースト・ストーリーとある。ジュゼッペを自由にするにはゴーストに設定するしかなくて、そのためにはルナが必要だったということだ。たぶん。

彼女の名前がルナ(Luna)でよかった

暗闇に閉じ込められたジュゼッペだが、彼女の名前を呼ぶ時、闇に目を凝らし、あるいは目を閉じて、見えない月を仰ぐように顔をあげることができるかもしれない。

体の動きが心に及ぼす影響力は無視できないと思うのだ。試しに口角を上げると、落ち込んだときでも心持ち気分が上向いた気がするから。

暗い空間に差し込む月の光

暗闇に月(Luna)の光は差し込んだだろうか

シチリアの子供達は恐れない

誘拐されたジュゼッペも、ルナとその親友ロレダーナも、生粋のシチリアっ子だ。物心がつくにつれマフィアがどういうものかを認識していく。ジュゼッペの父親はマフィアであるし、逮捕された後、改心者となって組織の情報を司法に提供している。それがどんな事態を家族に招くかを島の住民もジュゼッペ本人も知っている。

スイス人のルナの母親はマフィアの存在に免疫がなかったはずだ。結婚してこの島に住んで初めて知ったのかもしれない。一番怯えているのは彼女のように思えた。常に感情を押さえつけ、心に染み込んでくる忌まわしい気配を汗と一緒に排除できるかのようにサウナに籠るのかもしれない。彼女は娘に勉学に励むことを強いるが、この島から離れたところで生きてほしいとの願いがそうさせるのだと思う。

コルシカ島が舞台の「マテオ・ファルコーネ」

この映画から、メリメの短編小説「マテオ・ファルコーネ」を連想。小学校高学年か中学かの推薦図書で読んだ気がする。読後の重苦しい気持ちを思い出した。

舞台はフランスのコルシカ島。シチリア島と同じ地中海に浮かぶ島だ。こちらは島の掟を破った幼い息子を父親が殺す物語だ。

シチリアもコルシカも島の歴史と風土の中で培われた絆というか、掟のようなものが人々に浸透していた(いる?)のだろうか。

 

映画で描かれた物語の外に、現実の事件があったことを思い出し、いたたまれない気持ちになる。物語ってこんな気持ちに折り合いをつけるために作られるのかもしれない。

 

2017 Sicilian Ghost Story イタリア・フランス・スイス