伝記映画だから本人の映像を?
「プライベート・ウォー」は戦場ジャーナリストのメリー・コルヴィンがシリアで殺害されるまでの数年間を描いた伝記映画。
「メリー・コルヴィンの瞳」はシリアへの彼女の取材に同行したカメラマン、ポール・コンロイが撮影した映像と、当時の彼女を知る人物へのインタビューを中心にしたドキュメンタリー。
まずは「プライベート・ウォー」から
スリランカで片目を負傷し、シリアで亡くなるまでのメリー自身を描く映画なので、戦場だけでなく私生活や、戦地の記憶に苛まれる描写に比重を割いている。
聞き苦しいほどに低く抑えた声音や、常に指先にあるタバコ、痛飲シーンが相まって、痛々しいメリーだった。
ところが、最後に本物のメリーのインタビュー映像が流れる。からりとした笑み。随分印象が違う。がぜん、ドキュメンタリーの「メリー・コルヴィンの瞳」が気になり始める。そちらにつなげるのが狙いかな。
本筋とは離れるが、編集長とメリーの会話で、園芸欄がやたら引き合いに出される。なんだか邪険にされてる園芸欄。あってもなくても良いような紙面のスペース調整役の扱いなんだろうか。
植物の凄さを知らないな?植物界に目を向けると広くてディープな世界がそこにあるんだぞ!と、園芸欄の愛読者である私は言いたい。
2018 A Private War イギリス・アメリカ
「メリー・コルヴィンの瞳」じゃなくてポールの瞳だった
こちらはメリーとカメラマンのポールがシリアに入ってから、ポールが脱出するまでを、戦地の実映像と再現、回想インタビューを交えて構築したドキュメンタリーだ。
肉体を壊されて苦しむ人の映像に震えあがった。
「プライベート・ウォー」にも凄惨な場面はあったが、再現映像だという気持ちがどこかにあった。それに遺体を掘り出す嘆きのシーンでチラッと写った少女の笑顔に撮影風景を想像してしまい、いい具合に気が抜けたし。
こちらはズンっとくる映像が多々あり。
ところで、映像の中のメリーは、ゆらぎない信念と果敢な行動の人に見えた。タフだ。
ポールが尋問と表現する彼女の容赦ないインタビュー手法、現地入りしたフランス報道陣に対する苛立ちのストレートな表出、彼女はブルトーザのようにパワフルで峻烈だ。
記者としての功名心もあるだろう。けれど、苦しむ人々とともにあろうとする心情が芯にある。世界の人々にもそうであって欲しいという願いがある。
ジャーナリズムの力を信じていた。文字通り命がけで。狂信的な信念だろうか?それとも猜疑心や無力感を力づくでねじ伏せた努力の賜物だろうか。「プライベート・ウォー」をあわせ見た感じでは後者のように感じる。
2018 Under the Wire イギリス